自分をなくすことから

 しかしこれまで自分探しを始めた人で、見事本当の自分を見つけたという人がいるのでしょうか?
 仏教では、「無我」つまり「本当の自分」なんてものはない、ということを2500年前から説かれているのです。
 私は、「自分探し」よりもむしろ、「自分なくし」の方が大事なのではないかと思っています。お釈迦さんの教えにならい、「自分探しの旅」ではなくて、「自分なくしの旅」を目指すべきなのです。

「本当の自分とは何か?」「自分らしさとは何だろう?」ということを、どれだけ真剣に考えようと答えなんて出るわけがありません。自分というものがこの世で一番厄介で面倒臭いものだからです。それをなぜみなさんがわざわざ探そうとするのか、不思議でなりませんが、“自分にも都合がいい自分” なんて、どこにもいるはずはありません。
 だからといって、すぐに自分をなくすことができるかというと、それは大変難しいと思います。でも方法はあるのではないでしょうか。
 それは誰かに「憧れ=なりたい」と思うことです。
 円谷英二しかりお寺の住職しかりボブ・ディランしかり。「その人になりたい!」と思って、必死で真似をしているとき、自分はなくなっています。その人になりたいと思って、できるだけ真似をする。つまり誰かを好きになって夢中になる、という癖をつければいいのです。それは、自分をなくしていく技術を獲得することでもあるのです。
 そして、リスペクトする人をどうしても真似しきれなかった余りの部分、いわゆるそれが「コンプレックス」と呼ばれるやつですが、そのコンプレックスこそが「自分」なのであって、これこそが「個性」なのです。仕方ありません。若いときはそのあたりがわからず、個性というものを「自分オリジナルのもの」とはき違えてしまいがちなもの。
 しかし難しいのは、「憧れ=なりたい」と真似をして、自分を変えていくということが、いつでもできるわけではないということです。若いうちはできても、年を取るとなかなか自分を変えることが難しくなります。
 年を取ると、積み重なった「自分らしさ」が邪魔をして、すんなり他人に憧れることができず、また自分を変えることにも抵抗を抱くようになります。
「自分なくし」というのは、自分を変えるためにリセットするという考え方でもあります。ついつい煩悩が積み重なり、自分らしくなってくると、変化を拒むようになってしまいます。
 飲み屋でのシーンでよく、人間関係などに悩み、「会社をやめたい」と愚痴るのを聞くことがあります。こちらは「だったら会社をやめて転職すればいいじゃない」と単純に思いますが、「いや、そうしたいんだけど、今不況だし……」と言われると、それほど望んでいないことを知ります。
 不倫が原因で家庭不和になっている者は、
「だったら離婚すればいいじゃない」
「いや、離婚はできない」
「じゃあ、その女と別れればいいでしょ」
「いや、別れたくない」
 それでは状況は何も変わりません。それもそれほど悩んでいないのではないかと疑ってしまいます。
 本当はできるのに、変わることを恐れて、できないと決めているだけです。
 つまり「自分らしきもの」があると思っている。そしてそれをキープしようとしている。だから変われないのです。
 自分らしさへの可能性については熱心なのですが、「自分をなくす」可能性には目を向けません。自分をなくせば、変わることが簡単にできるし、それは思っているより悪いものではないかもしれません。